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「原田家住宅お掃除会」を実施しました

    10月13日(月・祝)川越市松江町二丁目にある市指定文化財・原田家住宅において、川越蔵の会による「原田家住宅お掃除会」を実施しました。

    川越市松江町2-8-6
    佐久間旅館の並び、コープ仲町店の近く
    蔵の会有志会員・文化財保護課職員合わせて25名の参加で実施しました。
    お掃除は原田家住宅の屋外敷地で草取りがメインに1時間程行い、綺麗な状態になりました。
    写真は、川越蔵の会新会員の金子優一さん(写真家)が撮影したものです。
    金子さんは今年の「長屋バー」に参加して蔵の会の会員になってくれました!
    山になっているのが、この日取った草などです。
    こうした活動も蔵の会では実施しています。
    川越の歴史資産を守っていきたいと考えています。

    「原田家住宅」
    市指定有形文化財
    『原田家は、代々米穀問屋「足立要(あだよう)」として埼玉県一帯を商圏として執り仕切ってきた大店で、敷地内に店蔵をはじめとする建築複合体がそのまま保存されている貴重な町家である。店蔵の建築年代は、棟札によって、明治30年(1897)7月5日に上棟され、大工関谷兼吉、左官亀田與四郎、鳶竹中角造らが工事に携わっていることがわかっている。店蔵の外観は、間口4.5間奥行3間、2階建切妻造平入で、時代の勢いと格式が滲み出た構えを見せている。屋根には背の高い箱棟に巨大な鬼瓦と影盛が載り、二重蛇腹と出桁を組み合わせた軒回りと3連の観音開窓といった蔵造りの諸要素がすべて豪快であり、意匠的にも優れている。間取りは店蔵と住居部分が観音開扉の土戸で隔絶できる、店・住居分離型の形式を採り、1階は、東側が土間となり壁面に丸太の半柱が3尺ごとに立っていることから、米俵が天井まで一杯に積み上げられていた光景を思い起こさせてくれる。一方西側は床上部分となっているが、店舗部分は後世になって改造され、当初の様子は不明である。店蔵2階へは、帳場の箱階段から上り、2階には床の間付8畳間、押入付6畳間、3畳間の3室が配されている。とりわけ8畳間は、天井が折り上げ天井になっており、土蔵造町家の2階に、ここまで豪華で格式のある座敷を設けているのは珍しい。原田家の店蔵は、米穀問屋「足立要」がもっとも繁栄した時期の歴史と生活を目に見える形で伝えてくれる建築遺産であり、川越における豪勢な土蔵造町家の一例として貴重である。
    原田家の諸建物は、南と西が道路に面する鍵型の敷地に店蔵、住居、文庫蔵、東西2棟の土蔵、および屋敷稲荷社、井戸、外便所などが配置されている。店蔵とその奥の住居部分は、観音扉の土戸で分離される形式になっているが、店蔵の東側には、通り土間が設けられ、住居部分のお勝手と台所脇の土間へと続いている。現在は台所と浴室の改造で裏庭まで土間がつながっていないが、堂々とした観音扉の土戸がある店蔵とお勝手部分の接続部は当時のままに保存されており、貴重な空間である。住居部分は、仏壇のある「いま」と床の間付の8畳間「おく」が続き、「おく」の北側には縁側が配され、住居部分と文庫蔵の間につくられた坪庭や大小2つの屋敷稲荷を「おく」から眺めることが当家でもっとも心安らぐ瞬間だったのであろう。縁側と文庫蔵を結ぶ廊下には便所が設けられ、便所は男性用と女性用の2部屋からなり、その間の壁は黒漆喰の磨き仕上げで施工されている。文庫蔵は3階建で、家具、什器、夜具などを収納するためだけではなく、居室としても使用された。建築年代は小屋組の棟札から明治43年(1910)3月25日に棟上げがなされたことがわかっており、施工者名も記されている。敷地の最北部に並列して建つ東蔵と西蔵は、前者を「下蔵」、後者を「米蔵」と呼び、東蔵は米だけではなく、雑物も収納して2階で使用人が寝起きしていた。西蔵はもっぱら米だけを収蔵していた。これら2つの土蔵は、東蔵を曳き家した後に、並んで建つようになったもので、建築年代は同時期ではない。西蔵は牛梁に残された墨書から明治39年(1906)に上棟されたことがわかっている。
    このように、原田家の諸建物は、店蔵と同様に、米穀問屋「足立要」の歴史と生活を今日まで伝えてくれる貴重な文化遺産であり、一つ一つの建物には、当時の施主である八代目原田要吉が抱いていた建築への思いと巧みな技を存分に発揮した職人の心意気が一致して生まれた歴史が刻まれている。』